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寒波と酷暑、不自由と不養生、優しさと気付き

今回は今年初めにあったちょっとした修羅場を。

異常気象がすでにデフォとなりつつあるけど、今年は特にヒドいですよね。その上で降りかかる不運災難(って言うほどのもんでもねー今となっては)。自分にとっての負の出来事を笑いに変えるのにはかなりの時間とエネルギーを要するものですが。えぇ、もう笑ってもらって構わないんですが。

実は。今年初旬の大寒波の時にうっかり滑って転び半身打撲、とある箇所を「骨折」してしまいまして。正確には「骨が折れてズレた」んですが、数十年生きてきて初めてのこと。骨折ってこんななのか、痛いっちゃ痛いんだけど、それよりもチカラが入んない。診断では全治6週間。

不運なことが起きるとつい悪い方に行きがちなのだけど。現実は変わらないのにマイナス思考に陥る時点ですでに負けてる気がするので、何かのせいとか思いたくないんだよなぁ(まー自分のせいなのだが)。
ところがですね。ここが悪運なのか幸いに、なのか仕事には全っっっっっっったく支障はなくて。もし誰かの呪いでこうなったのなら呪いにしてもイマイチ詰めが甘いわ!みたいな。ただ車の運転ができなかったので打ち合わせに出向いて行けず、そこはすみませんと来ていただいたり電話やメールで済ませていただいたり(ありがたい時代ではある)。ほとんどのクライアントさんにはお知らせすることもありませんでした。けっこうな長期間だったのにな!
仕事以外でも不自由ではあるけれど、使えないなりに色々とできるように考えるし、人間とは工夫する生き物なのだなぁ、と思いましたわ。

しかもこれがまた「ネタでしょ?」というようなことなのですが。最初は骨折と思わず(捻挫のヒドイやつと思ってた)近くの病院で診察してもらってから初めてわかって、ギプスと包帯ぐるぐるにされ。「来週またレントゲン撮りに来てね」と言われたので1週間後に行きましたらですね。なんと病院、やってない(w)。とりあえず看護師さんはいらっしゃって、尋ねたら診てくださってた先生、急に入院されたのだそうな。そういうのってアリ??てか、あるんだ?まさに「医者の不養生」かよ(w)。
仕方ないので別の病院に行って、そこでまたイチから診察し直して。しかしレントゲンあると診察代が意外に高い。毎回厳しくなる懐事情。ダメもとで保険会社に問い合わせたら特約が付いてたらしく(知らんところがまた)保険金がおりまして(歓喜)、それで全治までほぼまかなえました。保険、侮れん。(けど、保険って収入になるので税金がかかる、というのを最近知った。どうなのだろう・・)

kyoto-okuni車の運転ができなかったので、何十年ぶり?に市内でバスに乗ったし(けっこう楽しい)、ギプスの包帯ぐるぐるの状態で実は関西出張にも行きました。元気じゃん。当然クライアントさんは「無理されないで」と言ってくださったのですが、自分が行きたかったもんで(w)強行。どこへ行っても見た目にハッキリとわかるので周りの人たちみんなが優しい。それはもう申し訳ないほどに。色々と殺伐してるこの時代に、こういうところは全く廃れてない。

今では骨折したことすら忘れるほどなんっっっともありまへんので。でもまた寒波の季節が近づいてるし。十分気をつけよ・・

15年経ってた

フリーになったのが2002年7月。
いつの間にか丸15年、今月から16年目に突入!してた。

まだまだ続けさせていただけることに感謝。

hrt0786

ヲタではない

mizukaze

ミーハーでもないですが。
何かと話題なので撮ってみた。
やっぱ「豪華」って感じですね。
他の車両と比べても大きめだし長いし、走る姿は大蛇のようにも見えます。

まぁ私は一生乗ることないと思いますが・・・

思い出したので、書いてみる。

ずいぶん前のことなんですが。

雨の降る日に車で市内を走っていて、信号待ちをしていたときにふっと横を見たら、道路沿いの小さい畑にこんな物体が↓。

・・・なンでこんなところにカラスの着ぐるみ??鳥よけの何か?とか思ってたら、そいつイキナリ動き出すんですよ!!

ギョッとしてよく見たら。
・・・黄色いキャップに黒い雨ガッパを着たオバちゃんだったのでした。

オドかさないでよ、まぎらわしい・・・

旅をする理由

今回の小豆島は母と二人で行きました。一応プレゼントのようなもの、のハズだったのですが。

そもそもは十数年前、両親が還暦を迎えるのを機に特別なことをしない替りに、きょうだいでおカネを出し合って旅行でもしてもらおうとしたのが始まりだったかな。ただどこに行きたいか聞いても、現役時代に日本の都道府県全てに行っている父、そして時々そのお供をしていた母も特に行きたいところを思いつかないと言う、じゃ〜いっそハワイでも行く??と言っても海外まではメンドクサイ・・・と結局ハナシはまとまらずにそのまま何年も経ってしまい。(たぶん両親も私たち子供によけいな負担をかけたくない、というのもあったと思う)そして古希になろうというときに「そうか、私が一緒に行くのなら両親も気を遣うことなく行ってくれるだろう、車で行けるところなら荷物も負担にならないし」ということで、ようやくプレゼント旅を計画したのです。親孝行などとはおこがましいけど、普段何もしてあげられないし、元気なうちに楽しいことをたくさんしてほしい、純粋にそう思ってのことでした。

湯布院のお宿。しっとり贅沢な良いお宿でした。もう一度泊まりたい。

行き先はプレゼントと言いながら私の希望で湯布院に。大分に行ったことのある父も湯布院は行ってないと言うし。車の運転は私と父と交代で。旅の行程づくりや宿の手配などは私がしたのですが、計画を立てている段階で父が「湯布院に行くならついでに熊本にも行きたい」と言い出しました。聞くと父の父、私の祖父が最期に過ごした病院が熊本にあると言うのです。祖父は私が生まれた時にはすでに亡く、戦死したとしか聞かされていません。父はその祖父が最後にいた場所を訪ねてみたいと、わざわざ熊本県庁に問い合せていました。どうやって調べたのかはわかりませんが、県の方は調査結果と丁寧なお手紙をくださっていて、その末尾に「古希のお祝いで旅行されるとか。どうぞ楽しんでください」というようなことが書かれていて、あぁ、なんだかんだ言いながら、父はこの旅行を喜んでくれているんだなと嬉しかったのを覚えています。

そして湯布院・熊本と2泊3日駆け足で行ったのですが、帰ってから父が「これは旅費」と言って封筒を差し出すのです。「イヤイヤ、それじゃ〜プレゼントの意味ないし!」と拒否ったのですが、父も一旦出したものは引っ込められない。結局親っていうのはこういうものなんだなぁ〜と「じゃ、これで来年もどっか行こ」と預かることに。

その後母の体調が思わしくなかったりしたのですが、翌年はあまり無理せずに近場でと淡路島・四国へ行きました。そしてその時もまた父が「旅費」と称しておカネを渡すので「じゃまた来年どっかに」・・・とず〜っと永久運動のように。私としてもそれで両親が楽しんでいつまでも元気でいてくれるなら、と思ってたのですが・・・結局父と三人での旅行はそれきりになりました。「今度は伊勢とか、金沢なんかどう?」と話してはいましたが。

琴平のお宿で寛ぐ両親。父との旅行はこれが最後に。

そして父が「旅費」として渡してくれていたお金だけが残りました。母は「それはアンタが好きに使いなさい」と言いましたが、そんな気になるわけもなく。

で、それからまた数年経った今、そのお金で母と旅行することにしたワケです。私の運転で行ける範囲で。「このお金で旅行すればお父さんの供養にもなるよ」と言ったのですが・・・結局今回も母からお金を渡され・・・ホントに親ってのはこういうものなんですねぇ。私も自分の子供からそうされたらおそらく同じようにするんだろうな。

で、また残ったお金を前に、次回はどこへ行こうかと思案中なのです。