月別アーカイブ: 2012年2月

あの方と。たぶん一生に一度。

今年1月の後半くらいだったと思うのですが、新聞に小さく父の名が載っているのを見つけました。ホンの3行ほどの記事。もう父は亡くなってるのにナニコレ?と思いつつも、多分実家の母親のところに何かお知らせが行っているのだろうとなんとなくそのままに。が、後日会った母も「この新聞に載ってるのは何だろーか?」と言うのです。何なんソレ。

で、2月に入ってもうすぐ49日という頃に役所から電話でお知らせがきました(サスガ、遅せーよ)。以前父がこのようなのを戴いたことをブログに書いてもう2年近く、というかまだそれくらいしか経ってないのか。今回のはそれを戴いた人が亡くなってから功績を認められたときに贈られるものだそうな。ふ、ふ〜〜〜ん、そんなのがあるんだ(その後ネットで調べて見るも、難しくてなんだかよくわかんなかった)。その伝達式に出席してほしいと言う。母はそんなことよーせんと言うので、私が代わりに受け取りに。

今は仕事ですらめったに行くことのない県庁の、しかも知事室に入ることなどおそらく最初で最後(つーか、フツー入ることない)であろう。県知事さんを間近で見ることも直接言葉を交わすことも(「おめでとうございます」「ありがとうございます」だけですけども)一生に一度あるかないか・・・って、これもフツーではありえないよな。私の他にあとお二人いらっしゃって、いかにも大会社の重役さん、みたいな感じで、ハッキリ言ってワタクシ浮いておりましたが・・・。

書状を受け取って、その後知事さんと並んでツーショットの記念撮影(うぉーーコレもフツーではありえんな)。父はこんなふうに名誉になることが好きだったので、さぞ喜んでいることだと思う。そんな父に肖ってめったにできない経験をするワタクシ。この書状の重みを噛み締めて父を讃えるべきなのだろうけど、私自身のことでこんな経験をすることはまず一生ないと思うので、ついミーハーしてしまいましたよ(今ワタシ、知事さんとサシだわ・・・なんて)。

いただいた書状は額を買って入れてもらいました。

黄色いマルにはコレ

別世界。どこだここは

この冬は雪がよく降りますが、車のタイヤを冬前に新品にしました。ノーマルもすでに数年前にオールチェンジしてるので、そろそろこっちもヤバいだろうと覚悟はしてたんですが。

しっかし冬用タイヤって高っけー!んだよね。おまけにバッテリーもイカレてしまい(いや、よく保ってたなってゆーか、よく無事でいられたな、ってくらいで)ダブルの出費。イタい冬の準備であった・・・のだが、この雪の前では新品に換えておいてホント良かったな、と。

今までのスタッドレスってなんか細くてシャリシャリと頼りない感じだったんだけど、今回のはどっしりと安定してる(クルマ屋さんには「気のせいでしょ」と言われたけど)。さすがブリ○ストン!だべ。

で、換えられたタイヤを見たらこんなのがあったもんで、

(ナゼこうなってるのかは知らないが)

ついこんなことを・・・

黄色いマルはやっぱスマイルでしょ(写真はクリックで拡大します)。

嫁が島も真っ白です。

「一登竜門」「紀綱之僕」

以前から興味のあった住宅メーカーの完成見学会に先日ちょこっと行ってきたのです。(家を建てる予定などはもちろん全くない!のであるが)こういうのもデザインの勉強になるし、基本的に建築物を見るのは好きなのです。あまり時間がなかったのでほんの20分かそこらしか見なかったのですが、なかなか個性的な家で楽しめましたよ(住みたいかどうかは別として)。そこは勧誘・訪問などの営業は全くしないということだったのですが、DMなどは送られてきます。その中にちょっとおもしろいのがありました。

来場のお礼とともに、せっかく戴いたご縁ということで、私の名前に使われている漢字の意味を失礼ながら調べてみました、と説明書きが一文字ずつ丁寧に(姓名判断、とかではナイ)。一部抜粋すると

「登」は「高いところに上がる、位につく」「常に前向きに物事をとらえ、高い目標を一つずつ越えていく堅実さ」「一登竜門のたとえのように、前向きの努力が認められ、高いところまで上りつめる」

「紀」は「もつれた糸を整理して、糸口を見つけることで筋道を持つ」「紀綱之僕のたとえのとおり、才幹に優れ、人々や物事を見事にまとめ、過去を尊びながら大きな未来を創る」

・・・ということを表しているのだそうな。ほぇー。

私の名前は父がつけたものですが、特に意味とか聞いたことなかったのですよ。「時の記念日」生まれだから、というのと文字の画数を考慮した、ぐらいしか。こんなに色々と意味があったのだとわかると、へぇ×500。

最近はキラキラネームとかDQNネームとかワケワカランお名前が氾濫してるようですが、仕事の上でも「コレ、何て読むんですか・・・?」とか「コレ、本名なんですか?」とお聞きするような方が増えました(全て20代前半の若い方々ばかりなので、自分がスゴい年とったなぁーと自覚もするのだが)。それぞれにカッコイイお名前だし、付けられた方の思いが込められているのでしょうが、聞いていいものかどうか一瞬戸惑いますね。でもやっぱり聞いちゃうんですけど(多分会う人ごとに聞かれてるんだろうなぁー)。

名は体を表すと言いますね。名前にその人の本質があるとか。名前だけで人生が決まるとは思わないけど、ちょっと変わってると何度も説明したりいらん苦労もするのかも。私自身は名前についてアレコレ言われたことはないですけど、こんなふうに改めて意味(しかもいかにも良さげなこと)を言われると、なんかスゴいエラそーで背中がモゾモゾするような。私を普段からよく知っている人が見たらきっと大笑い、だと思うのだが・・・。

New year, New wake

約2か月ぶり、今年初の更新です。

昨年のクリスマスの日に父が亡くなり、今年はお正月も何もありませんでした。12月に72歳を迎えたばかりで、私の中ではまだまだ先のことであったはずの父との別れ。その現実があまりにも早く訪れてしまったことで気持ちの上ではまだ癒えない部分もあるのですが、49日法要も終えてとりあえず一区切りはついたかなというところ。

ブログにもけっこう父のこと、書いてましたね。

・生存証明にならない
・もう一度載っけてみます。
・上流?の扱いにオタつく
・New
ティーヴィー地デジ
ほ、根まで愛して

このどれを書いていた時期にも、こんなに早くこんな時がくるとは全く考えていなかったのですが・・・

これは若かりし日の父と私(1歳ぐらいかなー。父、けっこうイケメンじゃね?)。後ろにあるのはナンとオート三輪ですよ。時代がわかりますねぇ〜。

私が生まれた時、父は「女か〜」と残念がったそうなのですが(ぬ?)、初めての子だったのでそれなりに思い入れはあったのだと思います。この写真を見ると父が私を愛してくれていたのがわかるのですよね。厳しかったけど、私のしたいことには理解を示してその都度応援もしてくれました。何も返すことはできなかったなぁ・・・。

あまり語ると湿っぽくなるのでヤメますが、亡くなったのが年末だったのと自分の気持ちの整理ができなかったこともあり、ほとんどの方にはお知らせができませんでした。幸い仕事は年内のものはほぼ終わっていて、新年からの仕事の打合せが集中していたのですが、納期を延ばしたり予定を変更して対応をしてくださいました。皆さんのお気遣いにはホントに感謝です。年賀状も沢山いただきましたが、今年は松の内を過ぎてから寒中お見舞いでお返事を出させていただきました。

年が明けてから気持ちの整理を付けつつ仕事。ありがたいことに今年はけっこう大きな仕事がいくつか控えているので立ち止まっているヒマもなく。実は今年はフリーになってから丸10年にあたる年なのです。新年を新たな気持ちで迎えることはできなかったけれど、色々な意味で新たな転換期になるのかも。

先日のニュースで知ったのですが、私がフリーになったその記念日には「うるう秒」というのが入るのだそうな(その前には廃止するとかのニュースもあったけど)。わずか1秒でも得をしたような気分になるのは単純かもしれないけど、自分にも何かわずかでもプラスになるようなことができるといいよね。自分なりのスタイルで。そう考えるとなんだかこれからが楽しみなようなコワいような。約半年後、満10周年を迎えた時に、果たしてここに何を書いているのかなー?