一瞬の奇蹟を捉える

「カフェ巡りが趣味」なんてことを書いたもんだから、よっぽどヒマなんだと思われたらしい。ヒマで悪かったなぁ!(んなワケがあるか)時間は自分で創り出すもの、グチやイヤミなんぞ言う間に自分に有益になることをする方がなんぼか・・・などと吠えていたらマジに忙しくなって「それどころでない」状態に。私の場合、基本的に〆切のある仕事というのが限られているのでうまく調節すれば時間も作れるのだが、たまたま突発的に予期せぬ急々仕事が何件か重なってしまうのもよくあること。

それでもまたムリヤリに出かけて来ましたよ。近場ですが県立美術館の企画展へ。

奈良原一高 —手のなかの空—

この企画展はカメラマンもおススメしてたし、自分でも開催前から気になっていたので絶対行かなきゃ、と。

私自身は写真を撮ることについては全く不得手ですが見るのは好きで、写真集も色んなジャンルのものをよく買います。仕事上では参考写真を撮る程度で生データを使うことはほとんどありません。ただ写真を扱うことなくデザインというのはありえないので、やはり見る眼を養うことや勉強は必要です。

写真というのは本当に不思議な媒体で、もちろんただシャッターを切っているのだけではない、プロのカメラマンや写真が好きな人にはテクニックだけじゃなくファインダーを通して何か別のものが見えているらしい。それが撮った写真に個性として現れるんでしょうか。実際「この写真はあの人が撮ったものだ」というのが分かるものもあるので、それって本当にスゴいことだと思うのです。まさに「この瞬間を撮る」奇蹟の確率をその人自身の眼で捉えているのでしょう。私には残念ながらその「眼」がない、ということ。

たまに一緒に仕事をするカメラマンは「気配」だと言います。良い写真には見えないものまでも感じさせる何かがあるのだということらしい。モノクロなのに色を感じさせる写真もありますね。透明感でも、透き通ったクールなもの、無機質な感じのものがあったり。

そう言えば一時「シズル感」というのがよく解らず、ネットで調べて「よーするにパブロフの犬状態になるってことか?」と人に聞いて笑われたことも(所詮私のセンスではこんなとこ)。

奈良原さんの写真は独特の世界観で本当に素晴らしく、引き込まれたようにじっくり見ていたので時間の概念をなくしてしまったような感覚に。2階のコレクション展も観て余韻に浸って、というか無心状態でうろうろとしていたら「閉めますのでー」と追い出されてしまった・・・ありゃ。なんかイキナリ現実に戻された。(いや、アッチの世界に行きっぱなしでもマズいけど)

「気配」のある写真は、まさに人をその奇蹟の空間に引き込んでしまう力があるのですね。